おぶせの里だより

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「ソロモンの指輪」(コンラート・ローレンツの動物行動学入門)①

 今日、病院も日本政府も経験したことのないコロナ禍によって、右往左往の手探り状態が続いています。明確な道標が無い状態で生き抜く術は、動物としてのホモサピエンスに備わった本能、遺伝子情報が本領発揮してこそだと思います。

 普段は文明という着物で身を包んでいても、一旦未曽有の危機が迫れば、隠れていた人間の動物本来の姿がむき出しになり、生存競争を生き抜こうとします。その時、やはり人間も動物の一員なのだと実感させられます。

 動物行動学の祖コンラート・ローレンツは動物行動学を通して、ホモ・サピエンスを鳥瞰しています。言語は人間種だけの特権ではなく、動物にも言葉(共通語)があります。言葉を通して固有種としての一体感、種の保存(危険からの回避)を保つことができるのです。

 今では古典となりましたが、オーストリア出身で動物行動学を樹立し、ノーベル賞を受賞したコンラート・ローレンツの「ソロモンの指輪」をご紹介します。

~「ソロモンの指輪」コンラート・ローレンツ著~

 紀元前千年頃、今の中東にイスラエル王国を確立したダビデ王の息子ソロモンは賢い王で、魔法の指輪(ソロモンの指輪)をはめて動物と会話ができたと言われていました。しかし、ローレンツはそんな特殊な指輪をはめなくとも、動物と会話ができますよと提唱します。ローレンツは動物の行動、発生する声などをありのままに観察することで、その心理、会話内容が普通の人にも理解でき、意思疎通ができる事を証明しました。

1.動物への接し方、観察の仕方

 動物には愛情をもって、決して拘束せず、ありのままに観察することが大切です。例えば、研究でズキンオマキザルやハイイロガン「実験遊戯」をさせてみます。家中はめちゃくちゃになりますが、知能の高い彼らは人間があっと驚く高度で計画的ないたずらをします。知能が高いのは決してホモ・サピエンスだけの特権ではないのです。

2、アクアリウム(水槽)での観察

 水草を少々いれて、ありのままに放置しておくと、いずれ自然な形での動植物の生物共同体が形成されます。先天的に同じ条件でスタートしても、その後、水槽が置かれた後天的環境(光量)により、それぞれの水槽の水草の成長が変化します。光量が多くすれば水草が生い茂り過ぎてしまい、光量が少なければ水草が消失してしまいます。適度な光量にすることで、水草が適度に繁殖し、小生物が適度に共存できる環境ができます。

3、動物の知的レベルの高さの測定

 水槽の中のゲンゴロウの幼虫は動くものに何でも噛みつきます。共食いもし、抑制機能がありません(知的レベルが低い)。それに対してヤゴは、動くものだけでなく、動かないものも餌にします。つまり、動かないものも餌と認識できる個体識別能力があり、また仲間を識別して共食いもしないということです。このような例からもヤゴがゲンゴロウの幼虫より知的レベルが高いといえるでしょう。これは人間集団にも当てはまります。

4、求愛に関して

 魚の闘争ダンス(攻撃)や求愛ダンス(受け入れ)は儀式化されています。
 トウギョ心理的レベルがやや低く、儀式化されたダンスだけでは相手が雄か雌か判別できません。その後の相手の反応や動きを見て、雄か雌かを判別し、闘争か求愛に進みます。トウギョは、儀式化された求愛の後に心理的レベルが上昇し、水中受精後は心理的レベルの高い、卵の守り方をします。水中に散乱された卵を一個一個識別して拾い上げ、水上の泡の巣へ押し込んでいくのです。
 一方、心理的レベルが高い闘争ダンスの例として、心理的レベルの高いトゲウオは、水槽の片隅に自分の巣を構えると、巣からの距離に反比例して闘争心(勇気)が弱くなり、逆に巣に近いほど闘争心が増します。この結果、2匹のトウギョの間には境界線ができ、それぞれ安住の領域に住み分けられます。つまり、この儀式化された境界線決めの例からは、相手を追いかけ過ぎると勇気が失われて引き返し、自分の勇気が保てる程よい距離の縄張りに落ち着くという事がわかります。
 さらに、宝石魚はトウギョよりさらに知的レベルが高く、妻、夫をそれぞれ単独個体として互いを認識し、数年間に渡って一夫多妻制で生活します。つまり、識別能力、己の自己主張の範囲をわきまえる事が知的レベルの高さなのです。

                                (つづく)