おぶせの里だより

医療関係者が自身の経験談や体験談、趣味に関する小話をおぶせの里からお届けします。

こころの豊かさを求め、自分探しの旅(母校での講演より)<7-1>

 ジョハリの窓

 「自分のことは、自分が一番よく知っている」そう思う方は多いと思います。私もずっとそう思ってきました。しかし、これまで歩んできた道を振り返ってみますと、挫折、苦悩、出会いの連続で、新しい自分があることに気づかされたのです。

 アメリカの二人の心理学者が提唱した「ジョハリの窓」という考え方があります。「わたし」というものは、四つあるのだというのです。「わたし」には四つの窓があって、その一つは自分も他人も知っている「わたし」。もう誰もが、第三者も自分もすべてが認める「わたし」です。二番目は、自分は知っているけれども他人は知らない「わたし」。三番目は、自分は知らないけれども、他人が知っている「わたし」。そして四番目の窓というのは、自分も他人も知らない第四の「わたし」。「未知の窓」を明らかにしていくことが人間の成長に繋がるというのです。

 これは何によって可能なのでしょうか。それは「自己開示」と「他人との関わりの中で教えられ、気づかされること」によってなのです。自分探しをするということは、この「第四の窓を開ける」ということなのだと思うのです。私はバングラデシュの医療協力を通じて様々なことを教えられ、学び、そしてたくさんの友人を与えられ、多くのパワーをいただきました。貧しい人、病める人、苦しみの中にある大勢の人々の心に寄り添うことにより、彼らの悲惨な状況というのは一向に変わらなくても、自分のおごり高ぶり、傲慢な心というのが打ち砕かれたのです。共に生きること、思いを分かち合うこと、共感することによって、自分の心が洗われ、豊かにされていくのに気づかされました。新しい自分の発見です。第四の窓が開いたのです。

 「興譲」という言葉があります。譲を興す・・・つまり「譲る心を興す」わけですけれども、これは決して同情の情ではありません。同情というのは、あの人はかわいそうだなと思う心で、これはこれで人間としての大切な気持ちですが、裏を返せば、自分はそういう悲惨な状態になくてよかったという気持ちが隠されていて、相手を見下すような、また一段と高い位置から見ているような、いわば強者と弱者の関係にあります。ところが「興譲」の「譲」というのは、謙譲の譲で、へりくだっているわけです。そして「譲る」。これは分かち合い、共感することなのです。困っている人、貧しい人、苦しんでいる人と同じ目線で、「その思いを分かち合い、共感しあうこと」、そういう心を興すことが「興譲」というものなのだと思います。ボランティアをするということは非常に大切なことですが、大変さもあります。その際に、「してあげる」という気持ちを捨て、相手と同じ目線に立つことが大切なのだと思うのです

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