おぶせの里だより

医療関係者が自身の経験談や体験談、趣味に関する小話をおぶせの里からお届けします。

緩和ケアを少しでも知ってもらうために

◇はじめに

*毎年我が国で癌で亡くなる方は40万人弱、今後は2人に1人が癌に罹患し、3人に1人が癌で亡くなると予想されます。

*癌は通常、終末期に近づくほど苦痛が増しますが、苦痛を抱えたまま最期を迎えることは身体症状のみならず、本人の尊厳を著しく傷つけ、見守るご家族の悲嘆も尋常ではありません。ここに緩和ケアの出番があります。

*幸い近年、医学の進歩に伴い、様々な医薬品や手法が開発され、終末期患者が苦痛に苛まれる場面は著しく減っています。

◇緩和ケアあるいはホスピスと聞くとどんなイメージを持たれますか?

 「緩和ケア」「ホスピス」という言葉を聞いただけで、「あぁ俺はもう終わりだ…、もう何もしてもらえない…、ただ死を待つだけだ…」とマイナスイメージで覆われる方が多いのではないでしょうか。

 確かにホスピスに入院する方は、癌が治る訳でも縮小するわけでもなく、その意味では限られた範囲での医療といえるかもしれません。

 しかし、実際入院された方やご家族の話を伺うと「こんな場所があったのか」「もっと早く入れば良かった」との声をしばしば耳にします。なぜならそこには新しい発見があるからなのです。では実例を見ていきましょう。

ホスピスに入院された70歳台のある男性のケース

 この方は某大病院で大腸がんが見つかるも、既にお腹に癌が広がっており手術はができず、抗がん剤が投与されました。しかし約1年後、がんの進行による腸閉塞を合併し、食事摂取が困難となり中心静脈栄養へ移行。胃管も留置され、ほどなく当ホスピスに紹介入院となりました。

 入院時、点滴に24時間繋がれた状態で、お腹は張るわ・痛いわ・食べられないわの三重苦の辛いご様子で、余命僅かとの宣告もなされていました。しかも翌日急に悪寒・高熱と共にショック状態となり、危篤状態に陥りました。検査を行っている余裕はありません。状況から中心静脈カテーテル感染に伴う菌血症状ショックと判断。カテーテルを抜去すると共に、抗生剤点滴、オピオイドや鎮痛剤点滴等で対応、どうにか危機を乗り越えました。

 その後、痛みは消えるもお腹が張り、食べられない状態が続いていました。ここで腸閉塞の苦痛緩和に優れたA剤の持続皮下注射を開始。この効果は抜群でした。腸閉塞状態は変わらないものの、症状はみるみる改善。徐々に食事がとれるようになり、苦痛も改善。点滴を外し経口薬へ変更、食事は栄養士と相談しながらグレードアップ。ほぼ10割接種できるまでになりました。

 こうなるとリハビリ作業療法士の出番です。はじめは寝たままでの下肢マッサージから始まり、座位訓練・車椅子移乗訓練・歩行訓練とレベルが上がり、歩行器での歩行・庭の散歩、ついには自宅への外出・外泊も可能となりました。

 しかし身体的苦痛が緩和されると、精神的苦痛が急浮上する事がしばしば見られます。限られた命への不安、生きている事の意味、虚しさなどで、この方も例外ではありませんでした。特にコロナ禍で家族と会う機会が減ったことも一因となり、「死にたい」という言葉も初めて口にされました。

 このような時、医療スタッフの対応は大きなカギとなります。医師・看護師のみならず、チャプレン・作業療法士・看護助手・ソーシャルワーカー・研修医・など様々な職種のスタッフが、それぞれの役割を果たしつつ、寄り添い、傾聴(患者さんの話に耳を傾ける)を心がけます。事実この方もしばらくして、自分はここに入院して本当に良かった、救われたと何度も口にされました。

 その後、癌の進行につれ、徐々に衰弱が目立つようになりましたが、それでも食事への意欲は衰えず、意識もしっかりされていました。当然痛みも増強しますので、途中から安全かつ管理しやすいオピオイドの持続皮下注へ変更することで、疼痛はコントロールされていました。

*この時点で寿命は当初予測より大幅に延びています。

 余命も限られてきたとき、最期の課題は家族と共に過ごす時間を作る事でした。しかし衰弱した状態での外泊は危険を伴います。そこで御家族とも何度も打ち合わせをし、家族の覚悟も伺い、外泊が決行されました。わずか1日でしたが、多くの身内が集まり、ご本人も量は少ないが好きなものを口にされ、大いに盛り上がったとのことでした。帰院後、楽しかった、良かったと述べておられました。

 その数日後、静かに旅立たれました。家族も感謝を述べておられましたが、逆に医療スタッフも大きな勇気と慰めを与えられたと語っています。

ホスピス(緩和ケア)のミニ知識☆

ホスピス(緩和ケア)の歴史とその概略
*中世ヨーロッパで修道士らによる病人・貧困者・旅人らのための「神の宿」がホスピスという言葉の語源で、ホスピタル(病院)にもつながっています。

*1976年シシリー・ソンダースによる聖クリストファー・ホスピス(ロンドン)が世界初のホスピスで、その後オピオイドの普及で一気に広まりました。

*1981年、浜松の聖隷三方々原病院ホスピスが日本初のホスピスです。

*1991年、「緩和ケア病棟入院料」の制定に伴い、ホスピス新設ラッシュが始まり、緩和ケア関連の学会も次々と新設されました。

*2007年、「がん対策基本法」施行で、緩和ケアは終末期がん患者のみならず、比較的早期のがん患者にも適応すべきとの提言により、オピオイド使用も一般化しています。

◇現在、我が国における緩和ケア制度(患者さんの希望に合わせて選択)
①(狭義の)ホスピス病棟
緩和ケアを専門的に行う入院施設で、「緩和ケア病棟入院料届出受理施設」の適応を満たしており、全国に数百ある。

②緩和ケアチーム
 がん診察拠点病院(大病院)中心に設置され、様々な職種から構成され、院内がん患者の緩和ケア指導・アドバイスを行うが、入院病棟はない

③在宅緩和ケア(ホスピス
最期は自宅でとの希望が増え、訪問診療(医師)・訪問看護・ケアマネージャー・ヘルパー・在宅リハビリ等のバックアップで自宅で緩和ケアを行う。