おぶせの里だより

医療関係者が自身の経験談や体験談、趣味に関する小話をおぶせの里からお届けします。

たいせつな存在

 「あなたにとって『大切な存在(人やもの)』は何ですか?」という質問を学生さんに問いました。ほとんどの学生さんは家族、友人、ペット、と答えました。その理由を聞くと、自分のことをよく理解してくれているから、いつも心配してくれている、静かに見守って支えてくれる、自分にとって落ち着くことができ、安心できる、困った時に力になってくれるから、といったような答えが返ってきました。自分が愛し、愛されていると実感しているものが「大切な存在」だと考えているように思われました。

 続いて、新聞記事「2度目の震災で逝った娘よ」を読んでもらい、感想を書いてもらいました。

**西宮市で阪神淡路大震災に遭った十三歳の少女は、結婚して陸前高田市に移り住み、3.11の東日本大震災で帰らぬ人となった。逃げ込んだ市民会館で津波に飲み込まれた。二十九歳、妊娠三か月だった。両親は偶然出会った一編の詩「最後だとわかっていたなら」に亡き娘の声を聴いた。**

 学生さんたちの反応は、
「何気なく過ごしている日常も当たり前のことではないのだ」「他人事ではない、いつ自分や自分の身近に起こるかもしれない」「だから大切な人を失ったとき”もっとこうすればよかった”、”ああ言えばよかった”と後悔しないように感謝の心を忘れずに今日を大事に生きていきたい」「”明日やればいいや”そんな言葉を聞くたびに、”いいのかな?”と思うようになった」「やりたいことがある、行きたいところがあるのなら、やろう!行こう!そう思うようになった」「普段から、大切な人や命の大切さを心に秘め悔いのないように行動していきたい」
といった感想が聞かれました。茶道でいう一期一会の精神に通じるように思えました。

 次に、バングラデシュの人々の暮らしや習慣、命に対する考えをスライドを見ながら紹介しました。貧富の差が激しく、ヒ素中毒の危険があると知りながら水を汲む女性、赤ちゃんを病院に置き去りにして帰ってしまう家族、守るべき家族のために自分を犠牲にする父親の話など、日本では考えられないことに衝撃を受けた学生さんが多かったようです。日本の常識は世界の非常識という言葉が改めて痛感させられました。

 これらの話し合いを通じて、学生さんたちは、自分たちが考えていた「大切な存在」とは違う大切なものが存在することが一人一人の心の中に芽生えてきたように感じられました。

 最後に、子供を亡くした米国人女性が作った詩「最後だとわかっていたなら」を学生さんたちに朗読してもらい、皆で思いを分かち合いました。9.11のアメリカ同時多発テロ事件や追悼番組や集会で朗読された詩で、一昨年の二月、陸前高田市で開催された講演会の時、講師から急に頼まれて津波で亡くなった妊娠三か月の娘さんが”流暢で心にしみる声”で朗読したといいます。両親はその一編の詩に慰められ、心の傷が癒され、立ち直るきっかけになったといいます。

≪わたしたちは、忘れないようにしたい≫
愛する人を抱きしめられるのは、今日が最後になるかもしれないことを≫
≪だから今日、あなたの大切な人たちをしっかりと抱きしめよう≫と。

 

【参考】朝日新聞記事;「2度目の震災で逝った娘よ」
「最後だとわかっていたなら」;(作/ノーマ・コーネット・マレック 訳/佐川睦)