おぶせの里だより

医療関係者が自身の経験談や体験談、趣味に関する小話をおぶせの里からお届けします。

こころの豊かさを求め、自分探しの旅(母校での講演より)<5> (3/3)

バングラデシュの医療事情(つづき)

 この国の乳児死亡率というのは、出生1000に対して82です。1年に約37万人が1歳の誕生日を迎える前に死亡します。さらに、約27万人が5歳までに死亡します。5歳までに60~70万人も死んでしまうという事なんです。この死亡の原因というのは、多くは下痢・栄養不良によるといわれています。毎日毎日食べる物が無くて、大勢の尊い命が失われているのです。

 ある時、ボグラの病院にぐったりした"バッチャ"が来ました。この"バッチャ"というのは"おばあちゃん"ではなく、ベンガル語で"赤ちゃん"のことをいいます。ベンガル語というのは東北弁に似ているんですね。ですから東北弁を聞いているような感覚で、すぐに馴染むことができました。このバッチャ、小さい乳幼児のことなんですけれども、母親に抱かれてやってきました。見ると、骨と皮しかないのです。目が天井を向いていて、意識がほとんどありません。明らかに栄養失調と脱水で、入院して点滴をしなければなりません。一刻の猶予もないのです。そのことを母親に告げると、首を横に振って「家には他に世話をしなければねらない15人の子供がいる。お金も無い、入院させるわけにはいかない。こんな子は要らない、死んでもいい。病院で勝手にやってくれ、置いていくから。」と言うんです。そんな押し問答をしている間に、子供は急変して手当ての甲斐なく帰らぬ人となってしまいました。ショッキングな出来事でした。そして「こんな子、どうなってもいい」と言っていた母親でしたが、その子を抱きしめながら泣いて帰っていきました。このお母さんにとっても、一人の子も大切な大切な子.....尊い命だったのです。

 日本人が捨てる食べ物だけで一千万の人が生きられるという統計があります。日本のホテルで顧客に出される食べ物のうち、人様の胃袋に収まるのはわずか55%で、他は全部捨てるのだそうです。凄まじいまでの食糧の無駄。このことに心の痛みを覚えない人たちのいる日本という国は豊かといえるのでしょうか。飢餓寸前の人が、開発途上国を中心に世界に一億五千万人いるといわれています。豊かな国にあって、豊かな心を忘れた私たちは問われているのです。

 マザー・テレサは次のように言っています。

「あなたは、この世に望んで生まれてきた大切な人。あなたがなんであり、どこの国の人であろうと、金持ちであろうと貧乏であろうとそれは問題ではありません。同じ神様の子供、かけがえのないあなたです。大切なことは、どれだけ沢山のことをしたかではなく、どれだけ心を込めたかです。わたしたちは忙しすぎます。微笑みを交わす暇さえありません。ほほ笑み、触れ合いを忘れた人がいます。これはとても大きな貧困です。」と。彼女が初めて日本に来た時、日本の姿を見て顔を曇らせ、心を痛め涙したといいます。物質的に豊かに繁栄した先進国日本の大都会を見て、カルカッタの悲惨な状況をそれに重ね合わせ、その不合理さに涙したのでしょうか。決してそうではないのです。彼女は、病んでいる日本を鋭く見抜いたのです。有り余るほどの物に囲まれ、何不自由なく生活している豊かな日本に、逆に心の貧しさを見て取ったのです。か弱な、皺だらけの修道女、マザー・テレサ、彼女には強くて皺のない精神が宿っていました。貧しい人、人々から見捨てられ、路上で死にそうになっている人に徹底的に仕えたのです。その姿というのは、現在に生きる私たちに残された貴重な遺産なのです。迷える二十世紀最後を照らし、二十一世紀の大きな指針を私たちに示しているように思えるのです。

 マザー・テレサのいるカルカッタというのは、バングラデシュの一番近い都市から30キロしか離れていないのです。ですから同じような状況というのが、バングラデシュの中でもあちこちで見られるという事なんです。彼女は1979年にノーベル平和賞を受け、1997年9月5日に昇天しております。