おぶせの里だより

医療関係者が自身の経験談や体験談、趣味に関する小話をおぶせの里からお届けします。

コロナ禍における苦悩、対策から見えた医師の在り方

 ある心療内科で、私とほぼ同じ年代に属する院長先生が新型コロナウイルス感染症に罹患して2か月以上が過ぎても回復に至らず、結局、閉院となりました。私も糖尿病・高血圧を持病として持つ身として、罹患した場合、閉院どころでは無く、寿命が尽きる可能性が大きい事は明らかです。しかし、このコロナ禍の中で医師は逃げる事は出来ません。日々、緊張します。

 新型コロナウイルス感染症への恐怖も関係して、4月,5月,6月の受診抑制には著しいものがありました。6月の統計では医療機関は平均 -30% の収入減でした。ニュースなどでも取り上げられていますが、医療機関への受診控えは甚だしいものがあります。
 テナント開業の診療所は、この様な状況が続けば撤退せざるを得なくなります。3月,4月と業績の低下は明らかでした。
 3密のメッカのような医療機関に行きたいと思う人がいないのは当然です。確かに待合室の3密発生を防止することは医療機関の環境管理として必要な事です。この事だけから見ると、受診抑制は患者さんと医療機関の双方にプラスに働きます。しかし医療機関は患者さんの受診があって初めて事業として成り立つものですから、受診抑制は経営的に大打撃です。

 今般、「オンライン診療」なるものが、特例として認められました。医師法では、無診療新規投薬は厳しく禁止されています。しかし、今回、厚生局からの通達では、「電話のみで、処方箋を発行、つまり投薬しても良い」との医師法違反行為が奨励された訳です。
 ところが、残念ながら、神経科・精神科の専門医診察による「通院精神療法」と、精神神経薬のオンライン処方だけは認められませんでした。「薬物中毒者に利用される」との理由からでした。
 内科・外科・整形外科などの近所の人が"恥ずかしく無く通院できる科"とは違い、精神科・心療内科への通院は、未だに周囲の人からの理解を得られないようです。従って"顔がわかる"ような近所への通院は、まだまだ抵抗があるようです。つまり、遠方へのオンライン処方は精神科・心療内科にこそ必要な事なのです。

  この状況下、何の対策も行わずにいることは、診療所の社会的役割と経済的基盤の破滅を座して待つ事を意味します。
 改めて、問題解決の常として、最も単純な事実から考えてみると、
①患者さんには治療が必要である
②主治医として、患者さんに必要と判断した治療は継続すべきである。
コロナウイルスに近づきたい人は何処にもいない。
これら三つを満たす対策が必要となります。

 また、ウイルスの感染は、①人から人へ、②固定環境から人へ、③空気、手に取る商品などの流動的な環境から人へ、の3つの面から考えられます。
 そうすると、患者さんと自分がこのウイルスにとりつかれないためには、
①環境の徹底した換気を行う⇨診療所では push-pull システム導入による室内空気の強制連続排気、新鮮な外気の強制連続取り込み、を開始しました。
②建物・乗り物などの設備に触れない。
③確実に手指消毒を行う。
 等を習慣として"完璧に"行い続けることが最低の要件となります。この3点は感染危険性から遠ざかるための必要条件でもあるとも言えます。しかし無症状の患者さんが少なくないわけですから、診療所に入ってこられた患者さん全員の体温測定をして、高温の場合に特別な対応を行っても十分条件にはなりません。

 このような状況から、通院を希望しない若しくは困難な患者さんからの往診依頼があれば積極的に対応する事を決めました。
 患者さんが不安などの為に来診困難であるのなら、こちらが行くまでです。自分が出来る限りの防護行動を怠らなければコロナウイルス感染は受けない筈と考えました。
 これらの方針の決定・実行後は、順調に外来患者さんは減少、待合室は安全・快適な環境となりましたが、往診回数、私の疲れ、帰宅後の潤滑油の量、ならびに減量に成功していた体重は順調に増加しました。 
 往診作戦を開始した当初は、しばしば帰宅は深夜の10時,11時を過ぎました。一度は0時を過ぎたこともあります。
 今のところは大きな経営基盤の揺るぎは生じていません。受診控えの為に大きな影響を受けそうだった経営状態も、積極的な往診で対応することにより、今のところは健全な状態を維持する事が出来ています。
 ただ、ときどき "どこまで続く泥濘ぞ、"との討匪行の歌詞が脳裏を掠めます。第2波が、第1波を上回る規模で襲来している今、当分この体制を続けなければなりません。

 しんどい中にも楽しみはあります。

 遠いところへの往診は、時間的・体力的にも確かに負担になります。しかし、特に田園地帯、山間部を通る往診は夫婦で小旅行を楽しんでいる様な気分にもなれます。
 新緑の鮮やかさに打たれるひと時は命のリフレッシュになります。
 長い旅の間には、時々の自然の呼び声に応える必要があります。それに応えた後、ほっとして見渡す周囲に山菜の気配を感じることがあります。そんな時には躊躇なく、ワクワクしながら山に分け入って行きます。妻と楽しいひとときを過ごすこともできました。正に往診逍遥の余得でした。

  往診を続けて行く中で、本当に色々な環境、お住まいから受診して下さっている事が初めて実感されました。そして、診察の場だけが重要なのでは無く、わざわざ診療所に通院するという行為に、寧ろ、より大きな気持ちが込められているのではないかという事も、漸く分かってきました。私達、特に医師はこのような患者さんたちのお気持ちに寄り添い、それぞれの一期一会の御命をいとおしみながら生きて行かれるのに手を添えて差し上げることが義務なのだと、恥ずかしい事ですが遅まきながら感じることができました。